【解説058】江戸時代、主に民間向けの教育機関。古義堂は伊藤仁斎、咸宜園は広瀬淡窓、適塾の緒方洪庵

YouTubeでも情報更新しています!

前回は武士向けの、公的な教育機関を紹介したが、今回は民間の、私塾と呼ばれる教育機関を扱う。私塾は幕府の管理下にはなく、純粋に学問を極めるために設立された教育機関である。

 古義堂(こぎどう)-伊藤仁斎(いとうじんさい)

前回の記事でも扱ったが、儒教には「朱子学」、「陽明学」、「古学」などの学派があり、古義堂(場所は京都)はその名前からも推察されるように「古学」という学派を扱う。過去の原典に立ち返って儒教を行うのが特徴。設立者の伊藤仁斎とセットにして覚えておこう。

咸宜園(かんぎえん)-広瀬淡窓(ひろせたんそう)

現在の大分県、日田に広瀬淡窓という人が設立の儒学系の学校。学問をする上で年齢・身分・経緯などは関係ない(三奪法)、と徹底した実力主義を取り入れたことで有名。



適塾(てきじゅく)-緒方洪庵(おがたこうあん)

洋学系の学校。上の咸宜園と同様、実力主義を推し進めた。福沢諭吉を輩出したことでも有名である。

では演習。

(演習)

次の文の( )に適する語句を、次の選択肢の中からそれぞれ選べ。

【選択肢】伊藤仁斎、広瀬淡窓、緒方洪庵

(1) (     )は、「古義堂」を開き、宋学の思想は孔子・孟子本来のものと異なるとして、論語や孟子の原典について講義するとともに、仁と義の解明を通じた政治論を展開した。

(2) (     )は、蘭学塾として「適塾」を開設し、実力本位の組織的な学級制と系統的な教授法を採用し、自学自習と塾生どうしの相互教育を基本とする徹底した原書主義を貫いた。

(3) (     )は、「咸宜園」を創設し、毎月、塾生の得点をもとに席次の更新や進級の決定を行う等、詳細な規約や法度を定める中での実力主義を用いた方法により、武士から庶民まで漢学を修学させた。

(解)

(1) →伊藤仁斎 (2) →緒方洪庵 (3) →広瀬淡窓

(3) の漢学という言い方は国学や洋学に対しての中国由来の学問という意味で、儒学よりもちょっと広い意味と考えておこう。洋学で有名なのは上でも登場した適塾(広瀬淡窓が設立)だが、国学では鈴屋(本居宣長(もとおりのりなが)が設立)が有名。

今回はここまでです!
【PR 2024年実施教採向け】
シリーズ累計2500名以上の先輩たちが利用したわかりやすい動画講義です。教職教養の基礎を効率的に学習しよう!↓